映画や小説。漫画の世界で「マクガフィン」っていう考え方、用語がある。

wikiるとこうある。
「何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐なものである。」
と。

要は物語上、「追いかける動機」であるが、その中身はなんだっていいものだ。

例えば漫画ワンピースのロジャーが残した「一つなぎの秘宝・ワンピース」。物語上必要だが、その中身は正直どうだっていい。そこを目指して、仲間と一緒にドタバタやっている姿を描写する漫画だからだ。

ルパン三世の財宝もそうだ。金塊でも、ダイヤモンドでもその中身はなんだっていい。そのお宝をめぐって、銭形のとっつあんや、悪の組織とドタバタ劇を見せるのが目的だ。

仕事をしていて、いや、生きていて、僕のマクガフィンは日々変わる。目的と手段と言い換えてもいい。

時折、これだけ努力をしているのに何も手に入れていないと落ち込む事もあれば、
時折、望んでいるものは全て手に入っているのではないかと訝しげる。

目的は何で手段はなにか?いつだって目まぐるしく入れ替わるのだ。

目的は、この地域、市場の中で必要な企業になり、必要十分な規模まで拡大し、顧客を幸福にし、安定させることだ。当然ながら富も付随する。

が、これは本当に目指すべき、手にしたい目的なのか?マクガフィンではないのか?

俗な言い方をするとこの「成功とやら」はマクガフィンで、このマクガフィンを追いかけ、日々懸命に生き、懸命に死ぬ。そして隣には信頼できる仲間や部下が当たり前にいてくれる。

日々、汗をかきながら懸命に走っている時点で、すでに本当に欲しいものは手に入っているのではないか??

仲間と懸命に走るのは手段なのか?目的なのか?

顧客の笑顔は?

貯金通帳に印字される0の数は本当に、目指すべき目的なのか??いや、さらなる市場の「幸福」に対する手段なのか?

スタッフの幸福を望んでいるが、それは手に入れるべき目的のための、手段なのか?、それともスタッフが笑顔でいる時点ですでに目的は達成されているのではないか?

目的と手段は日々入れ替わる。何一つ確信がもてないまま今日は明日に変わる。

それでいい。何かを目指し、懸命に生き、懸命に死んでいければそれだけで幸福だ。

最後に何を得たのかは、観客にとってはあまり意味がないし、それは演者にとってもきっとそうだ。

と、超名作映画「アメリカンドリーマー」を観て思ったりした。

中小企業のしゃっ長さんなら必見の映画。いや、義務化が必要なレベル。

最後の「ある選択」の場面はいい!既視感がある。

2015年当時、こういうド名作を見逃してしまう自分の良映画探索アンテナの低さを恥じる。


アメリカンドリーマー 理想の代償】 2015年
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